社長の生い立ちと「家づくりへの思い」
~代表取締役 筒浦 広幸の生い立ちと家づくりへの想い~
昭和54年3月9日
筒浦家の長男として誕生。
祖父は家具職人、
父はサッシ職人、叔父は大工という
職人家系で育ちました。
幼いころの私は、
とにかく泣き虫で引っ込み思案。
一人で工作をするのが大好き
そんな性格なので、いつも独りぼっち。
心配した小学校の担任の先生が、
幼馴染だったIちゃんを中心にグループ(男は僕だけ)を作ってくれ、
一緒に勉強したり遊んだりする友達ができました。
今思えばIちゃんが初恋の人だったな~(笑)
女の子に囲まれ楽しい小学校生活でしたが、
家では父がとても厳しく、
テストの点数が悪いと容赦なくげんこつが飛んできました。
当時は、『ちっきしょ~!!』と思っていましたが、
長崎から集団就職で全く知らない土地に来た父は、
子供には自分のように苦労させたくないという思いで、
必死だったのでしょう。
そんな厳しい家庭環境でしたが、
なにより一番の不満は家そのもの
当時住んでいた家は家賃2万円のボロボロの平屋。
すぐ隣にはJRの貨物列車が走る線路があって、
常に震度3に近い揺れと凄まじい轟音が深夜まで続きます。
ただ、その振動や音より辛かったのは、
家の寒さ!
そんな家に住んでいたからなのか、
小学3年生の時、深夜に咳が止まらず息ができなくなり、
緊急外来に運ばれることに
家が原因で病気に
病名は『小児ぜんそく』
小児ぜんそくの原因は主に、
ダニ
ホコリ
ペットの毛とされています。
他にはたばこの煙もNG。
当時の環境はというと...
気密性、断熱性能ゼロの家でストーブをガンガン焚くから結露がひどい。
それが原因でダニも大量発生。
収納がなかったので物が部屋にあふれてホコリのたまり場があちこちに。
飼ってたインコが玄関で羽バサバサ。
とーちゃんは一日2箱のヘビースモーカー。
ぜんそくにならない方がおかしい
発作を起こしてからは、
週に2、3回注射を打つ必要があったために、
かーちゃんが私を自転車の後ろに乗せ、
いつも1時間もかけて病院に連れて行ってくれました。
それも約2年間。ほんと感謝です。
そんなことになってしまったため、
父も色々考えてくれ、
もっと快適な家に住もう!!!
ということに。
7憧れの庭付き一戸建て
庭付き一戸建てのマイホーム!!!7
これは子供心にめちゃんこ期待し、期待(妄想)は膨らむばかり。
お風呂はユニットバスってやつらしい。
トイレが水で流れるらしい(当時はボットン便所)。
え、もしかして僕の部屋があるの??
ていうか、この家めっちゃあったかいやーん!
庭もあるやーん!
犬飼う~~(←いや、飼ったらあかんやろ。ぜんそくなんやし...)
しかし、夢は儚く消えました
とーちゃんに立ちはだかった大きな壁。
『住宅ローン』
自営業のとーちゃんでは、お金を貸してくれる銀行がなかったみたいです。
貸してくれる銀行があったとして、
当時の金利の約8%でシミュレーション。
3.000万円の借入金額
・金利8%
・ボーナス払いなしの35年支払い
・元利均等方式
月々の返済額はなんと
213,078円!!!
死んでまうやろ~~~家なんか買えるか〜〜〜
しかも35年の総返済額は、
89,492,257円!!!
7ん?????確か家は3,000万でしたよね.....7
ということは利息が、
59,492,257円!!!
7なんでやねん!!!
7家の金額の2倍の利息って、今じゃ考えられないですよね。
結局マイホームは諦め、
学校や病院に少しでも近い、
鉄筋コンクリート造のアパートへ引っ越しました。
なんとなく綺麗になって部屋も増えたので、みんな喜んでいましたが、
相変わらず寒い
コンクリートが冷やされた冬場の結露は凄まじく、
コンクリートに直接貼られたクロスははがれて黒カビがびっしり。
やっぱり賃貸じゃ素敵な住環境は無理なんだ
大人になったら絶対に家を建てるぞ!
そう誓った少年時代でした。
職人になりたいと思った学生時代
そんな劣悪な環境で育ったからなのか、
父がサッシ屋だったからなのか、
建築に携わる仕事をしたいという思いが、
中学生の頃から段々と大きくなっていきました。
とはいえ、なりたいのは設計士さんや監督さんではなく
職人さん!!
たぶん身近に職人しかいなかったので、
これしか思いつかなかったのでしょうね(笑)
職人になるんやで勉強なんかせんと体鍛えよ〜!
勉強しない理由付けだったかもしれませんが、
中学生時代はひたすら部活と筋トレに夢中になりました。
ただその後は特に目標を持つわけでもなく、
なんとなく高校に進学し、気が付けば3年生。
進路を選択しなくてはいけないことが
きっかけで、父に弟子入りを直談判。
けれども撃沈
それもそのはず。
バブル景気が弾けて世は不景気ど真ん中。
息子の面倒を見る余裕なんてなかっただろうし、
不安定な自営業なんてさせたく無かったんだと思います。
社会人デビューはしたけれど...
仕方なく大手精密機械の部品工場に就職するも、
人間関係や仕事内容に我慢できずに一年で逃走。
その後はフリーターとして、
ガソリンスタンドやパチンコ店で働きながら食いつなぐ日々。
このままでいいのだろうか
漠然とした不安だけがきっかけでハローワークへ。
そこで見つけたサッシ工事屋さん。
無事に営業マンとして就職することができたのですが、
サッシ屋さんを選んだのはもちろん父がサッシ屋だから。
自分でサッシの営業をして、
仕事が取れたら父に仕事を出すつもりでした。
しかし配属されたのはまさかの外壁部門!!!
『はい、これお前の客ね』
といきなり担当を持たせられる。
案の定、訳もわからずやってるからクレームの嵐。
道の真ん中で工務店の社長に土下座したこともあった。
飛び込み営業に行って水をかけられたりもした。
ノルマがきつく朝の7時から夜の22時まで働く毎日。
そんな辛い思いをしながらも、
石の上にも3年や!
と思い頑張りましたが、
ちょうど3年くらいで力尽き退職。
ただその後に、
その会社の元上司で、外壁工事の会社を立ち上げたKさんから、
職人として来ないか?
というお誘いがあったのです。
原点となった職人修行時代
夢が叶い職人となったわけですが、
やっぱり職人の世界は厳しかった。
朝は6時前に家を出て、現場で道具の準備。
準備が親方の到着より遅かったらパンチ食らいます。
仕事中も返事が小さい、動きが遅いと罵声が飛んできます。
運転で道を間違えて思いっきりどつかれたり、
集塵機に溜まったサイディングの粉を顔にかけられたり、
夜中にサイディングを100枚(一枚20㎏)降ろしに行かされたり。
パワハラ、モラハラのオンパレードでしたが、
それでも今までの仕事の何十倍も楽しかった。
骨組みの状態だった家が自分たちの手でとても立派になっていくこと。
日に日に完成していく外観を見てお客様が喜んでくれること。
差し入れのお茶やお菓子を食べながら色んな話が聞けること。
いい仕事をすれば色々な人にも褒めてもらえること。
このお客様は私を信用して任せてくれている!
いい仕事をしてあげたい!これがモノづくりなんだ!
モノづくりに対する私の思いの原点となったのかもしれません。
独立
『職人の世界は独立してなんぼ。いつまでも親方のもとに居たらアカン。』
これは職人の世界に身を置いたら必ず言われることです
だけど独立して仕事が来るんだろうか?
自分の力だけで家族を食わしていけるんだろうか?
そんな不安を抱きながらも、
まずは私を救って育ててくれたKさんに恩返しが先。
独立はそれから。
そんな思いでがむしゃらにがんばった結果、
Kさんも応援してくださり、
28歳の4月に晴れて筒浦外装という屋号で独立。
独立してからは毎日休み無く働き、
業績も順調だったのですが
2008年リーマンショック
取引先からの仕事の依頼も激減。
多くの建築に関わる職人さんが廃業や転職。
そんな困難な時代であってもなんとか乗り切ることが出来たのですが、
独立したばかりの私が生き延びられたのには秘密が。
通常は工事に必要な部材は依頼主(主に材木屋さん)が前もって現場に納入し、
職人はそれを現場で施工するだけ。
材料が足らなければ依頼主に材料を入れるように伝える。
ですが、私は違いました。
図面から材料の必要量を見積もり、
材料の運搬も自分でやりました。
当時はそんな職人はいなかったので、とても重宝されていました。
これは戦略とかではなく、
依頼主の仕事の負担を少しでも軽くしてあげたかった
からなのですが、
このことによって仕事が途切れることなく、
困難な時代も乗り切れたのだと思います。
職人を脱却し会社設立へ
リーマンショックも落ち着き、
仕事の量も回復し、
毎日忙しく現場で施工をこなす日々。
とてもありがたい気持ちと並行して、
このままずっと職人として60歳、70歳まで現場に出れるのだろうか?
今の取引先だけでやっていけるのだろうか?
私の下に集まってくれている職人さん達の生活を守ってあげれるだろうか?
色々な不安も感じていました。
その不安を解消するには会社を設立するしかない!
けれども、そんな簡単な話ではなく、様々な壁を超えなくては実現不可能。
ただただ迷い、
過ぎ去っていく日々。
そんな中で
東日本大震災
容赦なく街を飲み込む津波。
爆発する原発。
私の死生観が変わった瞬間でした。
『迷っていても始まらない!チャレンジしてダメだったら一からやり直せばいい。』
2011年3月11日が私の人生の大きな転機に。
そこからは、
日中は現場で作業をしながら、
早朝や夜に営業や事務作業をこなす日々。
このころから睡眠時間は一日2~3時間に。
それでも今まで現場で作業する事しか知らなかった私には、
商品の提案やメーカーとの価格交渉、
工務店さんとのやり取りなど、
どれもとても新鮮で楽しいものでした。
そして運良く仕入れ先や協力業者にも恵まれ、
順調に会社は大きくなっていきました。
地域に貢献したいがむしゃらに仕事に取り組んでいる傍ら、
商工会青年部と青年会議所に所属したのですが、
そのような地域の団体で学ぶうちに、
自分自身の事業で地域に貢献したい!という思いが強くなっていきました。
そこで取り組んだのが、
古民家を改装したデイサービス
私の住む揖斐郡では空き家が問題になっており、
その有効活用はよく話題に上がっていました。
また、地域のお年寄りの中には施設で生活することになじめず、
家から出たくないという方も居ました。
そういった方に、
自宅と同じように安心して気楽に過ごせる場所を提供しよう!
そんな思いでデイサービスを開設することになったのです。
しかし、実際にデイサービスを運営してみると、
来られる予定だった方が、
当日になってお休みされることが多いことに驚きました。
特に冬場は多い。
原因を調べてみると、
寒さで体調を崩している方が非常に多い。
そういった方のご自宅は総じてとても寒い。
家の中の温度は外と同じ家が大半でした。
よみがえる幼少時代に過ごした家と辛かったぜんそく
このデイサービスでの経験と、
幼少期のぜんそくの記憶が、
私をまた新たな方向へと導きました。
快適な住環境を多くの人へ届けたい
外壁工事業だけでは困っている人を助けることはできない。
自分にできることは何かないのか?
目を付けたのは
住宅の断熱化
私が今まで見てきた築30年~50年ほどの家は、
断熱材が入っていない家が大半です。
発泡ウレタンの吹き付けなら、
古い家でも床下に潜って施工すれば、
床からの底冷えを防ぐことが出来るはず。
そう考えた私は、
ウレタンを吹き付けるための機械と、
専用車両に大きな投資をし、
新たな事業を始めたのですが、
床下には更に別の問題も
それは木材のシロアリ対策です。
日本の住宅はほとんどが木造です。
阪神淡路大震災で倒壊した大部分の住宅が、
シロアリの被害を受けていたと言われます。
一般的な防蟻用薬剤の効果は約5年。
これは主成分が人体に害があるため、
あまり強い薬剤が使えないことが原因です。
シロアリはウレタンを食べながら内部へ侵入してしまいます。
しかも一度侵入したらどこにいるかわからなくなってしまう。
では5年後にウレタンで見えなくなった木材をどのように処理すればいいのか?
どう考えても再処理は不可能。
ホウ酸は効果が高い反面、
自然素材なので溶かす温度や施工の仕方、
保存する環境が大切になるため、
専門知識と技術が必要となります。
なのでホウ酸を使った防蟻処理の講習会に参加し、
必要な研修と試験を受け、
ホウ酸処理施工士となりました。
これで住宅をシロアリから長期間守ることも出来るように。
他にも外壁のメンテナンスのための塗装工事もできるようにし、
お客様が末永く安心して家に住めるように会社の体制を整えてきました。
けれどもここまでくると、
家への思いがますます強くなり、
家づくりの最初から最後まで全てを自社で提供したい!!!
そこに行き着いたのです。
Natural Life Design の誕生
デイサービス運営で痛感した室内の温度差による健康への影響や、
子供の頃に結露やダニやカビで患った小児ぜんそく。
それらの原因が家であってはならない
同じ苦しい思いを子供たちにしてほしくないし、
大人も長く健康的な暮らしをしてほしい。
結露やカビの問題だけではなく、
手に触れるものを極力自然素材にすることで、
体に優しく健康的に暮らせる環境を提供したい。
その思いで、
壁材には天然の漆喰、
床には無垢材を使用することにしました。
もちろん人それぞれ考え方や価値観は違います。
家は安ければ安い方がいい。
断熱材なんて最低限入ってれば問題ない。
メンテナンス性を重視してフローリングや壁クロスでも良い.
そう思う方もみえるかもしれません。
無垢材は経年劣化で反りや割れが出やすく、
漆喰も好みがあります。
それでも私はあえて自然素材に囲まれた住環境を
お勧めしたいのです。
その理由は、
家は簡単に建て替えることができないから
もしかしたら新しく生まれてくる命が化学物質に敏感かもしれません。
あなた自身が突然アレルギー体質になるかもしれません。
寒い家に住むことでじわじわと健康を損なっているかもしれません。
結露まるけのガラスや壁にできたカビをみて後悔するかもしれません。
住んでから後悔は絶対してほしくない
そんな強い思いを持っています。
『家づくりに関わるすべての人の人生を豊かにする』
これはNaturalLifeDesignの掲げる理念です。
お施主様と共に家づくりに関わるすべての人が
幸せになること。
お施主様と共に成長していけること。
お施主様と共に人生を歩んでいけること。
家づくりは一人でできるものではありません。
お施主様と建築会社が一つになり、
現場で施工する職人さんたちを信頼し、
任せることが出来きなければいい家にはなりません。
/家づくりはお施主様がキャプテンの、ひとつのチームです
/お施主様がイメージしているものをより良い形にしていく作業です。
/ですからお施主様にも、
仲間として一緒に家づくりを楽しんでほしいそう思っています。
NaturalLifeDesignを家づくりのパートナーとして選んで本当に良かった!
そう思っていただける会社であり続けられるよう、
これからも常に質の高い技術やサービスを提供し、
成長していきたいと思います。
Natural Life Design株式会社 代表取締役 筒浦広幸